お葬式が与えてくれる機会

お葬式が与えてくれる機会

先だって古くからの知り合いである先輩のAさんが亡くなりました。体調が良くないと聞いていたのでお見舞いに伺ったのですが、ご家族も生憎ご不在で、留守電にお訪ねしたことだけ残して帰ったのですが、後でご家族から電話を頂きしばらく前に亡くなって葬儀も家族だけで済ませたとお聞きしました。せめて亡くなる前にお顔を拝見したかったと思ったのですが、お見舞いに伺うのが遅かった自分が悪いと思って、お悔やみを申し上げて後で香典を送らせていただきました。その後、別の友人からも連絡が有り、お世話になった方だから葬儀に参加してお見送りくらいしたかったね、と話し合ったのですが、そこでもう一人私たちよりもっと親しかったBさんが、ご遺族のもとに怒鳴り込んだと聞きました。俺とAとの関係がどんなに深かったか知っているだろうに、なぜ知らせてくれなかった、と泣きながら抗議されたそうです。

実は、今年になっていくつかのご葬儀に参列し感じたことですが、長い人生を歩まれた方のご葬儀ですと、故人がその人生の節々で色々な方と出会い、様々にお付き合いされて来られた歴史を見る思いに包まれます。時代時代にお付き合いされた方々はそれぞれ違うグループであることも多く、通夜や告別式で、久しぶりに顔を合わせたような会話が、グループごとに交わされていたりします。特に個人がいくつもの顔をお持ちの方の場合は、時に同窓会のような話で盛り上がることもあるように見受けられます。

ご遺族以外のみんながそれぞれの思いでお見送りする機会を持ち、それがまた昔の仲間の集いの場にもなる。そういう事が通夜や告別式のもたらしてくれる意味でもある、そう思ったのです。前述のBさんも、きっと自分だけが見送りたいと強く思ったというのではなく、仲間と一緒に見送りたかったと思われたのに違いありません。

家族だけで済ませる、という葬儀も増えていますが、縁の有った方々がいらっしゃる場合には、その方々の気持ちも汲んでいただけると有り難いとも思った次第です。

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