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人は何のために生きるのでしょう
人は何のために生きているのか、というような大きな疑問に答えを得ようとして、宗教哲学などに歩みを進める方がいらっしゃいます。私たちは本当に何のために生まれて、何のために生きているのでしょうか。先日大変有名なテレビ司会者の方が、ある番組で「私は何も望みを持ったことがありません。あるがままに生きてきました。」とおっしゃっていらして、実は清々しい気持ちになったのですが・・・。
というのも、以前 高名な宗教者の方に、「本当のところ 人は死にたくないから生きている、と言えるのです。」と伺ったことを思い出したからです。「ただ、心ある人はそういうことだけでは生きていきにくいから、何か意味を見つけようとします。で、何のために生きているのかという疑問に向き合うのですが、考えても分からないので多くの人は考えないようになります。それでも中には一生懸命考えてその答えを見つけようと努め、結局家族のためとか与えられた役割をこなすため、というような答えで自分を納得させる人もいます。また、それ以上に考えて考えて、深い苦しみの中に入っていく方もいるのです。宗教者とか哲学者という方々はそうなのでしょう。そうして、考え抜いて心の底から光明を得たところに悟りがあるのですが、なかなか悟りに至る人もいないのが現実ではないでしょうか。」ということでした。
本当になぜ生きているのでしょうか。気が付くと、結局私も考えないようにしていて、そのまま生を終えるのではないかと思うのですが・・・。