終活を考える

終活を考える

酷暑と言われる今を過ぎると、辛かった季節を頑張り通した付けが来て、急に体が変調をきたすこともあると言われます。これから秋口に向けて気を付けたいところです。

先日、エンディング産業展が東京ビッグイサイトで盛大に開催され、終活のことなどが話題となって、テレビにも数多く取り上げられました。終活といえば最後はお墓のことになると思いますが、亡くなる方が毎年130万人を超えていて、今後さらに増えていくと予測されているのに、都市部にはそれを受け入れる墓が足りなくなるのだということです。それに対応するために、今色々なタイプの新しい墓、納骨システム、散骨方式などが生まれています。墓については、様々なタイプのものをバスで見学するツアーも頻繁に行われていて、それがどれも予約でいっぱいになるというニュ-スもありました。参加していらっしゃる方々のインタビューを聴きますと、結局家族との関係をきちんとしておきたい、自分の行き場所はしっかり決めておきたい、というようなお話が多かったように感じました。

社会学の先生によると、人は自分が生きた証を残したいという希望、欲望を持っていることが多いそうです。死を前にして、ここに眠るのか、と納得できる場所を見つけることも、死を人に伝えることも、生きていたことを思い出してもらうための手だてではないか、それが先生のお話しでした。

友人が郷里の医師会長をしていて、彼がエンディングノートを作成して、地域の高齢者に配布する医師会としての活動をしているそうですが、こうした活動への賛同者もどんどん増えているのだと思います。

話は変わりますが、朝日新聞の天声人語に、「大家さんと僕」という絵本を出された矢部太郎さんのお話しが紹介されていました。大家さんが亡くなられて、その思い出に涙しながら、いくつものエピソードを語られたようですが、亡くなられた大家さんが死後についての整理をしっかりとされていたということも報告されていました。人を大切にされる方は、自分の死後も人が対応しやすいように心配りをしていくものだなあと感心して読ませていただきました

終活。重い言葉ですが、考えなければならない事項だと身に染みてきています。

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