葬儀の簡略化、ということ。

葬儀の簡略化、ということ。

最近では、一日葬とか炉前葬という、葬儀を簡略に済ますケースが増えてきました。高齢化社会になり、亡くなる方がかなりご高齢で、喪主になられるご子息なども、すでに退職された高齢の方、というケースが多く、昔のように喪主の方が現役で、多数の会社関係の方が参列する葬儀、を考える必要が無くなっているという声があります。それに少子化も重なり、喪主とそのご兄弟、その方々の係累がこぞって参列する、ということも少なくなっています。少ない参列者で、大きな葬儀をする必要もない、というお考えが出てくるのも時代の流れかも知れません。そこに一日葬や炉前葬のニーズがあるという事だと理解しています。

同じように、この頃よく聞かれる葬儀の種類(?)に「家族葬」というものがあります。これを、先述のような一日葬や炉前葬と同じ葬儀の簡略化の一つ、だと考えるのは少し違うと思うのですが・・・。

簡略で良い、というのは送る方のお心に合理的なお考えがあってのことでしょう。しかし、家族葬ということになりますと、合理性ではなく送る方の家族の想いをきちんと形に表す、という意思があるものだと思うのです。参列者は少ないけれど、在りし日の故人の姿や、みんなにしてくださったことを偲び、故人への恩を形に表して、送る方々もしみじみした想いの時間を共有するという事ではないでしょうか。ですから家族葬は、参列者が少ないから簡略に、という流れに合わせるものではなく、もっとねんごろなご葬儀になると思います。家族葬だから一日で良いとか、面倒なことはいらない、というのは気になるところです。むしろ家族葬という時こそご家族のお気持ちに寄り添うものだと思います。そうお考えのご寺院様やご僧侶の方々を、私たちは沢山知っているのですが・・・。

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