墓参りがもたらす思い出時間

墓参りがもたらす思い出時間

先日 旧友の墓参りをしてきました。今は新型コロナウィスル感染症の蔓延で多くの人が自粛しているせいか、墓地にお参りしている人は一人もいらっしゃらず、静かさに包まれてじっくりと故人と向き合うことが出来ました。ただ、梅雨の晴れ間というのでしょうか、その日は薄日も差す佳い日で、

汗ばむような暑さには閉口することも有ったのですが。

花と線香を供え下手なお経を小声で唱えていると、何となく彼と過ごした様々なことが走馬灯のように、というのでしょうか次々と思い起こされてきました。

友人が亡くなって丸三年経ったのですが、その間 夢に現れたのは一度だけで、普段忘れていることが多くなっています。しかし墓前にいると 彼の事だけを考える時間に引き込まれるようで、楽しかったこと、共に辛さに耐えたこと、喜びに包まれたこと、慰められたこと、時には怒ったことなどがどんどん頭の中をめぐります。そしてつい、あの時はこうだったよねとか、こうすれば良かったことも有ったよね等と、独り言を声に出しながら、ただ墓の前に立ち尽くしていました。3年前には、なぜこうも早く先に逝ってしまったのか、そのことばかりを思っていたような気がします。

汗が背中を流れ始めて、そろそろ帰るよと告げて墓を後にしましたが、そこにいたのは都合20分も無かったでしょう。帰りの車に乗って落ち着くと、そのたった20分で彼と過ごした数十年を振り返ったような気分になれたことに気付きました。

お墓には、そこに眠る人との心のつながりを思い出させる力が有るのではないか、そう思い知ったものです。

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