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今こそ宗教者の力が必要ではないでしょうか。
今、新型コロナウィルスが猛威を振るい、その影響が色々な場面で現れ、自粛の波が広がっています。お葬式や法事にも影響は大きく、通夜を行わない葬儀、参列者を限定した葬儀や法事が増えています。
尤も、葬儀を簡略化する傾向は新型コロナウィルスが蔓延する以前から見られていて、少しずつ葬儀の規模が小さくなって来てはいます。家族葬などと言う言葉が新しい概念を生んだかのように喧伝され、それが低価格化の側面でばかり取り上げるマスコミ力で、一般の方々まで家族葬で静かに送りたいとお考えになることが増えているようです。
しかし、本来人は死者を、あるいは死者の魂を安寧の世界に送りたいという思いを込めて、縁のある方々が集って手を合わせて祈りを捧げつつ見送って来たのではなかったでしょうか。実は、この皆で手を合わせて祈る、という行為に大いに意義があると私は思っています。例えば、スポーツや演劇などでもそうですが、ファンがひいきの人やチームに、声をからして応援したり、勝利や成功を祈って手を合わせたりするのも同じだと思うのですが、この時、みんなの気が一つにまとまって応援する選手や演者に向かって大きな波を起こしているのではないかと思うのです。応援に力をもらった、と後で選手が言って居たりするのを聞くと、きっとそうだろうと思う気持ちは強くなります。
葬儀や法要では、人は集まって皆で手を合わせて、成仏を祈ります。この、皆で祈るところに大きな気が生まれ、それが波となって死者の魂を包み込みその力であの世に無事に送られていく、そういう行為が祈りではないかと思うのです。その人の集まりが無いままですと、気を送れるのは宗教者以外に居りません。人々の心を、宗教者が一人代理して読経や祈りの言葉で、死者の魂に気を送ってあの世に導くのだと思います。その宗教者の力も得られ無くなれば、魂は送ってくれるものの無い状態で旅立つしかありません。それで良いのでしょうか。今こそ宗教者の力が必要だ、そう強く思うのですが・・・。